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ファミコンは卓越した性能だったと思う(ゼビウス移植ブームにからめた話)

ファミコンに関するツイートが回ってくる

ファミコンは卓越した性能という、ファミコンに関するツイートが回ってくる。

ファミコンは卓越した性能は、私も同感に思っております。
当時は少年だった私がゲームセンターに行ってて、そこからファミコンがどういう存在だったことを思い出して書いてみます。
私個人の気持ちで正しいかどうかは抜きにして、少年が純粋に思えるところを感じてくれると嬉しいです。

ファミコンの正式名称はファミリーコンピュータですが、ここではファミコンと表記します。

ゲームセンターに行く毎日

当時の私はゲームセンターに行きまくってました。
お小遣いに余裕が有るわけではなかったので、なるべく遊び尽くすために、色々な人のプレイを見て研究してからプレイしていました。
※お金がつきると、電気屋に行ってパソコンを触り、そこでプログラミングを学んでいました。

今も変わりませんが、ゲームは、ちょっとしたことゲームオーバーになってしまうので、長時間プレイするためには研究が大事でした。
そのため、今でも当時の記憶が残っています。

1982年

ファミコンが発売される前年、ゲームセンターの代表的なゲームです。

ゲームセンターのゲームは、ディグダグの地形の鮮やかさ、ザクソンのスクロールするクォータービューの背景など「絵がきれい」という印象と、ディグダグのポンプ音などの「音がリアル」という印象が非常に強かったのを覚えています。

なお、私の家には、遊び飽きたカラーテレビゲーム15任天堂)があり、友達の家にはカセットビジョン(エポック)がありました。
当時の家庭用ゲーム機では、こんなに凄いゲームセンターのゲームが遊べるわけがない、これが当時の率直な感想です。
カセットビジョンで遊んだことはありますが、正直言ってしまえば、当時のゲームセンターのゲームが遊べるとは到底思えなかったです。

1983年

ファミコンが発売された1983年のゲームセンターの代表的なゲームです。

この年に、社会現象を起こしたゼビウスが登場します。
当時はゼビウスを求めてゲームセンターを徘徊する人や、ゼビウスを見付けた!と思ったらコピー基板ゼビオスだ!とか、そんなこともこの年です。

1984

1984年にはゼビウスのファンである細野 晴臣氏が「ビデオ・ゲーム・ミュージック」という業界初のゲームミュージックアルバムを発売し、オリコンヒットチャートにランキングされるなどもありました。

そして1984年はゼビウス移植ブームの始まりでした。
タイニーゼビウスというのがNECのパソコンPC-6001電波新聞社から発売されました。
このタイニーゼビウスは読者投稿で、ハードウェアの制約上完全移植にはならないがゼビウスのテイストを感じさせる内容でした。   

電波新聞社は次に完全移植という触れ込みで、シャープのパソコンテレビX1にゼビウスが移植されました。
X1はキャラクター文字をカラーで定義できるPCGを持っており、これをゼビウスの背景に利用してガタガタしてしまいますが、きれいな背景がスクロールするゼビウスが完全移植されたのです。
※これはハード上の制約ですが、その制約を乗り越える技として、50ライン表示にして4ドットスクロールというのを駆使しています。
実際に、X1版のゼビウスは物凄い完成度で、のちの電波新聞社の移植無双に続いていきます。

その後、開発元ナムコが直接ファミコンに移植されました。
効果音も格段にリアルに再現され、何よりもゼビウスの背景がなめらかにスクロールするのは衝撃で、多くの人がファミコンを購入させるほどでした。
ファミコン版はステージ4などに登場するアンドア・ジェネシスは背景に書き込まれておりスクロールが停止して戦うのですが、何故かアンドア・ジェネシスが登場してからスタートボタンを押すとスクロールが停止せずに先に進んでしまうという仕様があり、これも話題になりました。

当時、X1はX1Csが発売されており価格は119,800円で、ファミコンは14,800円で、価格差もあったためパソコンを持っていない人はパソコンよりもゲームに向いたファミコンを選ぶようになっていきました。

ファミコンが売れる要因は他にも多くありましたが、ファミコンゼビウスが登場したことで、ファミコンの卓越した性能が証明されたのも1つの要因でした。
わかります? 当時、高性能なゲームセンターのゲームがファミコンで動くんですよ!!
少年でも感じる率直な気持ちですが、ゼビウスの移植を通してみるとファミコンは卓越した性能だったと思います。